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5/11 知られざる、ブラジル移民のアマチュア写真家 大原治雄の作品と郷愁の旋律を重ねて…

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知られざる、ブラジル移民のアマチュア写真家 大原治雄の作品と郷愁の旋律を重ねて…


5月11日(木)

<スイーツタイムコンサート >

聴けば聴くほど愛おしい ブラジルのクラシック音楽





高知県の山村から17歳でブラジルに移住した大原治雄。

それだけなら何万人かの移民のうちの一人で終わったかもしれません。

しかし彼は趣味の写真で、移民の生活風景を彼独自の温かい視点で記録し続け、

いつしかブラジルで最も有名なアマチュア写真家になりました。

「アマチュア」と呼ぶのは、彼は生前、自分の写真の腕前について常に謙虚で、全くそれを誇ることが無かったからです。

しかし、その写真を見れば、誰もがその構図、空気感、そこにいる人物の表情すべてに魅了されてしまうことでしょう。

今回の企画は「大原治雄について、もっと日本の方々に知ってほしい」というブラジルの財団の全面的な協力を得て実現しました。

素晴らしい写真と音楽のコラボレーションをじっくりとお楽しみください。     

(宗次ホール企画担当:西野裕之)



 

大原治雄 Haruo Ohara(1909-1999)


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↑治雄と妻の幸(こう) (1954年頃)



高知県吾川郡三瀬村(現・いの町)に生まれ。

1927年、17歳で家族らと集団移民としてブラジルに渡り、その後未開拓の地パラナ州ロンドリーナに最初の開拓者の一人として入植。

28歳の頃に小型カメラを購入し、農作業の合間に趣味で写真を撮り始め、その後没頭するようになる。

1951年には、サンパウロの「フォトシネクラブ・バンディランチ」に入会。

国内外の写真展にも出品。当時は無名のアマチュア写真家だったが、1970年代初頭頃から徐々に知られ始め、高い評価を受ける。

1999年、家族に見守られながら89歳で永眠。

2008年にブラジル屈指の写真美術館でありアーカイブである「モレイラ・サーレス財団」(IMS、Instituto Moreira Salles)に写真資料等が寄贈された。





❖インタビュー① 影山千夏さん (高知県立美術館学芸課チーフ)




大原治雄の日本で初の作品展を昨年行ったのが、大原さんの出身地である高知県立美術館です。

そこで展覧会の企画を中心になって担当した影山さんに、この展覧会にまつわる様々なエピソードや大原作品の魅力について伺いました。



クラシックも好きだった大原治雄さん


○西野:初めに、影山さんが大原治雄という人物を知ったのはどういう経緯からですか?


●影山:2008年がちょうど「日本人ブラジル移民100周年」で、この年に大原治雄さんのご遺族から、膨大な写真やフィルム、日記などが「モレイラ・サーレス財団(以下IMS)」に寄贈されました。

その時にIMSから日本に大原さんのことを紹介したいと、とある日本の美術関係者に打診があったんですね。

そのときにその資料の中に「KOCHI」の文字が・・・というのは大原さんは高知県の出身ですからね。

そこで私のところにご紹介があったというわけです。



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○それからすぐに展覧会実現に向けて動き出された?


●いえ、そこからが長かったですね。

展覧会をやるチャンスが巡ってきたのは2015年。

この年は「日本ブラジル外交関係樹立120周年」だったので。

しかし、お国柄なのか、主導していたブラジル大使館側でなかなか物事が進まない(笑)。

美術館では企画展をするなら普通3年前から準備にかかるのですが、この時は展覧会開催までに全然時間がありませんでした。

しかし前年にNHKのドキュメンタリー番組で放送され、先にそちらで反響がありました。

私もその番組取材に関わっています。

ブラジルにも行って大原さんの居た街も訪れました。

今も家は残っていて、お子さんお孫さんたちにもお会いしました。

皆さん本当に温かい人たちばかりで、IMSの方々が大原さんご一家に「惚れてしまった」とおっしゃっていたのがよく分かりました。


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○大原さんがそもそも写真を始めたきっかけは?


●結婚写真を撮影したときに興味を持ったそうですね。

影響を受けた人というのは最初にその写真を撮ってくれた方で、あとは欧米の写真雑誌などで知識を得ていたのではないかと思います。 


(治雄の娘マリアと甥の富田カズオ/1955年↓)

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○独学でこのように印象的で素晴らしい作品が撮影できるものなのでしょうか?


●おそらく治雄さん自身が非常に絵心のある方だったのだと思います。

さらに読書家であり、移民船に乗った時から日記をつけていたし、演劇や映画も好き。

クラシック音楽も大好きで沢山のレコードをお持ちでした。

話によると「蝶々夫人」などのオペラが好きだったようです。

治雄さんの祖母は三味線を、また息子のスナオさんはヴァイオリンをやっていた。

因みにスナオさんの息子サウロさんは今やプロの写真家です。そういう意味では芸術的な空気を持った一家だったとも言えるでしょう。



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涙を拭きながら写真を眺めるお客様が多かった


○2016年に展覧会を行ったときの、お客様の反応は?


●ご覧になりながら涙している方がとても多かったです。

大原さんの写真を眺めていると、見る人自身の家族や身近な人との関係が思い出されますよね。

また自分自身をその写真の中に投影しているような。

そんな気分になります。

一般的にブラジル移民の暮らしって、辛く貧しい境遇といった風に語られることが多いのですが、大原さんの写真はそういう辛苦を感じさせるものが無くて、ほのぼのと穏やかな農民家族の日常がほとんどなんです。

これには移民の研究をされている方も「こういう記録は珍しい」と驚いていました。

移民の記録写真と言うと「農場を経営をして成功を収めた」みたいに自身の業績を誇るものも多いのですが、大原さんの写真はご覧の通りでそれとは完全に違います。




○写真から感じるそのままに家族思いの方で、子供たち一人一人にアルバムを作られたそうですね。


●そうです。

治雄さんには9人のお子さんがいらっしゃいました。

そしてそれぞれに1冊ずつのアルバムを贈っていて、これが彼にとって最も重要な「作品」だったのだと思います。

このエピソードひとつを取っても、温かい気持ちになりますよね。

そのアルバムには治雄さんのルーツ、高知の故郷で撮影された小学校の卒業写真やブラジルへのパスポートの写しも収められています。

これらがまとめられたのは、妻の幸(こう)さんが治雄さん63歳の時に難病で亡くなった後のことでした。

治雄さんはしばらくまったく写真を撮らなくなり、喪に服すようにしてこのアルバムをまとめられました。

子供たちに託されたアルバムは今もまた代々それぞれの子供たちから孫へと受け継がれています。


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○影山さんにとっての大原治雄さんの写真の見どころとは?


●治雄さん自身は日本に帰ることはありませんでしたが、写真という形で、彼の育んだ豊かな実りを日本に届けてくださいました。

愛溢れる大原一家の家族の風景と、おおらかなブラジルの自然の光景を是非多くの方に味わっていただきたいなと思います。



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❖インタビュー② 大原武史さん (大原治雄さんの遠縁 タクシー運転手)


さて、美術館で影山さんにご紹介いただいたのが、大原さんの遠縁で、現在も治雄さんが暮らしていた場所の近くにお住いの大原武史さん。

その場所にご案内いただく道中で、日本に居た頃の治雄さんについて貴重なお話を伺うことができました。




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(↑仁淀川の河原にて)


治雄さんが暮らしていたのは、清流日本一に何度もなっている仁淀川の中流、旧三瀬村の「石見」という集落。

いまもここは大原姓が沢山住んでいて、治雄さんのいとこさんまだご健在。

ブラジルに行くときに全部家財を処分していかれたので住んでいた家もないけれど、石垣は残ってますよ。

私のこと?

私は直接は治雄とつながっていないけど何代か遡れば親戚というくらいの関係。

治雄さんのことは正直この写真展のことで初めて知ったくらい。

写真展、ね。

見に行ったよ。

こんな高知の田舎からブラジルに渡って、100年後に写真が里帰りされたってことは、まったくドラマだなぁと思った。

治雄さんはとても優秀な方で、いつも学校で成績は一番だったそうで、3つの学校に通われたそう。

最後に通った高等小学校は4~5km仁淀川を上流に行ったところだった。

本人は教師になりたかったとか。

当時この地区で教師になりたいなんて子はいなかったんじゃないかな。

勉強が好きだったんだと思う。

石見の集落はほとんど平地が無いから炭焼きをやったり、和紙の原料のこうぞ、みつまたなんかを取ることもやっていました。

山を少しあがると「大原神社」もあってお祭りをしますよ。

神社にはNHKも取材に来ましたよ。

治雄さんの孫のサウロさんも写真展の際には高知に来て、この仁淀川の河原や沈下橋のあたりの写真を撮られた。

しばらく川と山を眺めながら、お祖父さんの過ごしていた場所の空気を感じておられましたよ。

「おじいちゃんの故郷はいいところだ」っておっしゃってましたね。






❖ブラジル・クラシックの世界へようこそ!

(日本ヴィラ=ロボス協会副会長 市村由布子さん)


ブラジルのクラシック音楽は、奴隷として連れてこられたアフリカの音楽、ヨーロッパからの移民による音楽、原住民インディオの音楽の影響を強く受け、世界に広くルーツを持つ音楽です。

そこには、遠い故郷を思うような郷愁、どんな境遇でも明るく生きようとする生命力が私には感じられます。

ブラジルのクラシック音楽の存在を世界に示したと言えるのが、H.ヴィラ=ロボス(1887-1959)です。


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ギターやピアノ作品や歌曲、有名な《ショーロス》、《ブラジル風バッハ》の他にも、あらゆるジャンルに1000曲以上の作品を残しました。

今年、生誕130周年を迎えました。 ヴィラ=ロボスより少し前に活躍し、「ブラジルの魂を具現化した存在」と言われているのがE.ナザレ(1863-1934)です。

当演奏会のピアニスト、清水由香さんは11歳の時に彼の作品《オデオン》に出会い、その後数々の運命的な出会いを経て、ナザレの音楽を学ぶべくリオ・デ・ジャネイロに旅立ち、ブラジルと日本を中心に各地で演奏活動をされています。

ヴィラ=ロボスより後に活躍したF.ミニョーネ(1897-1986)はイタリア留学やドイツ滞在の経験もあり、「ブラジルのワルツ王」と呼ばれる品格と高い教養を感じさせる作曲家です。

ブラジルにはこの他にも魅力的なクラシックの作曲家が多く存在します。

この演奏会が、皆様にとって、ブラジルのクラシック音楽の扉を開くきっかけとなれば大変嬉しく思います。







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農民写真家大原治雄の写真の投影とともに

聴けば聴くほど愛おしい ブラジルのクラシック音楽


ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第5番より アリア

ナザレ:オデオン  ミニョーネ:ブラジル風ワルツ ほか

清水由香(ピアノ)/山田真吾(チェロ)/宮澤優子(歌)


5月11日(木) 

13:30開演 13:00開場

自由席 

2,000円 

スイーツタイムコンサート


ご予約は宗次ホールチケットセンターへ 052‐265‐1718




コンサート当日は、ポストカードの販売もございます。

どうぞお楽しみに♪


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